コスモスが咲いていた

「揺れて咲くコスモス一輪汚れなく」

コスモスが咲いていた。とんでもない所に。薄汚れた金の世に食い破られて、汚れていく私たちの心を責め立てるように。清流「鏡川」沿いで、凜と清楚に。高知新聞の夕刊でも、紹介された、その名「根性コスモス」。まもなく散ったが、写真が残った。ピンクの花びら。コンクリートを突き破るように生え出て咲いたコスモス一輪。写真を撮っていると、犬と一緒に散歩していた女性が座りこんで、日傘をクルリと回しながらコスモスにささやいた。

「えらいね」とそうとも、おませは偉い。こんな場所に根を張って咲いたのだから。せっかく、咲いたのだから、精一杯に咲いてくれ。そうとも、花として此処に咲いたのだから。

犬が鳴いた。しっぽを振って「もっと、歩こうよ」と。そうとも、おまえも偉い。いつの世も、人の友となれるから。いつの世も、不信を嗅ぎ出し吠えるから。精一杯に生きてくれ。そうとも、この世に犬として生まれたのだから。

日傘を廻して女性も去った。そうとも、あなたも偉い。だから、あなたも輝いてくれ。精一杯に。たとえ、とんでもない時代であっても、女性本能の優しさだけは食い破られないように。せっかく、この世に女性として生まれたのだから。とんでもない場所に凜と咲いたコスモスに負けないように。そうとも生きていくとも。私たちも、とんでもないこんな世の中に「負けるもんか。何があっても、負けるもんか」と。