生きた仏様のお顔

田中國廣さん50歳 伊予鉄順拝センターの取締役部長です。

伊予鉄道株式会社は、日本初、順拝の団体さんに向けて、バスツアーを企画した会社です。

また巡礼でなく順拝と呼ぶのも特徴です。お四国巡礼は、1番札所から順番に巡る方法と、88番札所から逆順に巡る方法があります。

順番に巡るところから、「順」にこだわって、伊予鉄では、順拝と呼ぶことに決まったそうです。

会社紹介文を引用しますと、

 

四国八十八ヶ所順拝バスは、伊予鉄道が全国に先駆けて企画実行したもので、 昭和28年4月に記念すべき1号車が出発しました。

当時、四国遍路の旅といえば汽車や路線バスを乗継ぐためどんなに効率良く廻っても 日程が1ケ月程度必要でしたが、

順拝バスの誕生により15日に短縮されました。

 

とあります。

発足当時田中さんは、添乗員として、四国八十八ヶ所順拝団のお世話をなさっていました。

当時、四国八十八ヶ所順拝に出る人は、大切な人を喪った悲しみを癒すためや病気回復を願い 旅する人が多かったそうです。

各自お米を持参して、お寺の宿坊に寝泊りさせてもらい、持参した米を炊いてもらっていたそうです。

出発する時は、ふさぎこんでいた人々も長旅で次第にうちとけあい、 お互いのことをすこしづつ話をするようになることもあったそうです。

しかし話を聞くとたいていは、やりきれない悲しいことが多かったと田中さん。

個々の胸中は暗くバス四国八十八ヶ所順拝の道行きは、たいてい静かな悲しさにつつまれたものであったようです。

遍路道の中には、大型車両が入れず、遠距離を歩かねばならなかったり、 山を登らなければお参りができないお寺が多くあったそうです。

そこで、田中さん達添乗員は、順拝さん全員分の納経帳を持ち、ラムネとタスキを持って山を登ったそうです。

山のぼりは、荷物がなくてもしんどいものです。

今でこそ歩きやすく道も滑らないように整備されていますが、

20km以上の山道が多くあり、さぞや大変だったと想像できます。

それでも、ラムネとタスキは、必ず用意して登り、一番苦しい胸突き8丁と呼ばれるあたりでラムネをふるまっていたそうです。

悲しみにくれた順拝さん達の、「あーーおいしい」と言う時のその表情が、なんとも 仏様のように素晴らしく、今でも忘れられないと田中さん。

山越ができないくらいにへとへとになってきた順拝さんに、タスキを繋いで渡し、タスキを肩にかけ

ひっぱって声を掛け合い励ましあって山を登っていったそうです。

ここでまた伊予鉄さんの文を引用します。

 

初年度1台、12年目には百台、その後も年を追って飛躍的に増加を続け、 今日では毎年千台、

年間3万人を越える方々を安全にご案内しております。

現在では国内はもとより遠くはブラジル・ハワイ等からも参加をいただいております。

 

たくさんの順拝さんの「ありがとう」に支えられたねえと田中さん。

今は伊予鉄順拝センターの重鎮としてお忙しいご様子ですが、数珠を手放さず、仕事に励んでいらっしゃいます。  

四国八十八ヶ所順拝をする人達の目的も、人数も人種さえも様々に変化を遂げる中にあっても、

田中さんの凛としたきれいな横顔を忘れられない良い思い出として帰られた方がたくさんいらしゃっることと察します。

ステキな方に出会え、ここにご紹介することができました。ありがとうございました。

 文 山崎あつこ